父の初七日を終え、神奈川に戻ってきました。
日常生活を送りながら、ふと父のことを思い出して胸が締め付けられることがあります。でも悲しんでばかりもいられません。前を向いて頑張っていこうと思っています。
今日は、葬儀のときにこんなトラブルがあったということをお話ししたいと思います。皆さまが大切な方を亡くされたときに、こういう経験をされないことを祈ります。火葬と収骨にまつわる話が出てきますので、苦手な方は閲覧をお控えくださいね。
火葬場にて
告別式が終わったあとは、火葬をお願いするために、霊柩車+自家用車2台で親戚とともに葬祭場に向かいました。葬祭場に到着後は、棺を開けて父と最後のお別れをしました。棺に入れたのは、お花と、眼鏡と、父が好きだった魚釣り用のウェアと、靴下です。私も父の頬を撫でて、最後のお別れをしました。死後数日が経ったからか、父の頬には、少しだけ柔らかさが戻っていました。
火葬を始めるためのボタンは、母が押しました。
火葬には1時間半ほどかかるので、その間は控室で待ちました。
皆に疲れが見え始めたころ、火葬が終わったとの連絡が放送で入ったので、みなで収骨室に向かいました。
そこに在りし日の父の姿はなく、白い骨があるばかりでした。こうなることは分かっていましたが、やはりショックで、なんと言っていいかわかりませんでした。
ただ黙って父の変わり果てた姿を見ていたら、火夫さんが喉仏の骨を集めて見せてくれました。この部分の骨の形は少々変わっていて、まるで手を合わせて合掌しているように見えました。だから喉仏と言うそうです。
それを寄り分けた後は、まず故人に近い二人(母と弟)が合わせ箸で足の骨を一本拾い、骨壺に入れました。二人で一つの骨を拾ったのはこの一回だけで、あとは一人ずつ骨を拾いました。すべて火夫さんの指示によるものです。
骨を拾う順番は、足から順番に頭の方へ行きました。骨壺にもその順番で収めました。私が住む地域だと、すべての骨を骨壺に収めることはありません。一部だけです。地域によって収骨の方法には違いがあるそうです。
収骨が終わり、火夫さんが骨壺に蓋をしようとしたときに、母があることに気が付きました。
母「骨壺が違う……」
その発言を聞いて私もはっと気が付きましたが、確かに、骨壺が違いました。たった今骨を入れたばかりの骨壺は、真っ白の無地です。
でも本来ならば、瑠璃色で鳳凰の柄が書かれているもののはずです。
私たちがそれがいいと選んだのです。
葬儀を執り行うには、いろいろと決めなければいけないことがあります。祭壇の花、棺の素材、遺影の大きさ……どれも払う金額に応じて豪華になっていきます。
骨壺もそうで、たくさんの種類がありました。私たちはカタログの中から、全体が瑠璃色で、鳳凰が描かれた骨壺を選びました。
「お父さんは青が好きやったけん、これなら喜んでくれるやろう」と、母と話して決めました。
でも目の前にある骨壺は真っ白で、なんの飾りもありません。
なぜ今の今まで気付かなかったかと言うと、収骨する際、骨壺は骨箱に入っており、ほぼ内側しか見えない状態だったからです。また、父の骨を拾いながら悲しみをこらえていたため、骨壺のデザインのことを全く気にしていなかったからです。
骨壺の蓋を閉める段になってようやく、蓋が真っ白であることに気付いた次第です。
「骨壺が選んだものと違う、どうしよう?!」と私たちは真っ青になりました。火夫さんは火葬場の職員であり、葬儀社さんとは所属が違います。私たちが文句を言うべき葬儀社さんは、もう帰ってしまっていません。
「新しい骨壺に入れ直しができるんやろうか」と母はぽつりと言いました。火夫さんは戸惑いつつ、「収骨には順番がありますから……。ただ、この件は葬儀社さんに伝えておいた方がいいですよ」と言葉を濁していました。
ここで時間を引き延ばしても何の解決にもなりません。私たちはもやもやした気持ちを抱えながらも、白い骨壺の蓋を閉じ、自宅に持って帰ることにしました。
車に向かう途中、これからどうするかという話になりました。
今ある骨壺で我慢すべきか、それとも、新しい骨壺に入れ直すか。
できれば新しい骨壺を使いたいのですが、入れ直すには問題があります。収骨には順番がありました。その通りにきちんと修復できるかはわかりません。また、頻繁に動かしていいものかという問題もあります。
このまま我慢するしかないかなと考えていたところ、母はこう言いました。「ちゃんとしたものに入れ直したい」と。「このままやったら、絶対後悔する」
母は普段、お店にクレームをつけることがありません。注文したものと違う料理が来ても、これも食べてみたかったからちょうどいいと言い、素直に食べる人です。
でも、痛みと強さをたたえた目で、このときばかりは自分の意見を主張しました。喪服に身を包み、父の骨壺をぎゅっと抱えて言い募る母の要望を無下にすることはできませんでした。「お母さんの気持ちが一番だから、そうしようね」と私は言いました。
父の骨は、新しい骨壺に入れ替えました。もちろん、できるだけ順番を崩さないように配慮しました。この結論に異を唱える人もいらっしゃるかとは思いますが、私は母がしたいようにしてあげたかったです。父もきっとそう言うでしょう。父は、何の変哲もない真っ白の骨壺から、瑠璃色の骨壺にお引越ししました。父が好きだった色です。
今も、母は骨壺を撫でながら父に話しかけているそうです。これがもとの骨壺だったら、見るたびにやるせない気持ちになっていたことでしょう。我が家の場合はこれで良かったのだと思います。
葬儀社のスタッフさんたちはお詫びしてくれました。霊柩車の運転手さんが、2つあった骨壺のうち間違った方を持っていったそうです。葬儀代も少し安くしてくれました。
葬儀はやり直しがききません。大切な人の葬儀であればあるほど、何か手違いがあったときの辛さは計り知れません。
自分たちがちゃんと望んだ通りになっているか、できるなら事前にチェックする方がいいのかもしれません。悲しみでいっぱいで、なかなかそういうところまでは気が回らないのですけどね。皆さまがこのような経験をされませんように。
少しずつ日常に戻ってきましたので、次回からはブログも通常運転に戻ります。今後とも、よろしくお願いいたします。